コラム

日本の大学情報公開は「サイロ・エフェクト」に陥っていないか?

人から勧められたこともあり、表題の書籍¹を読んだ。著者はフィナンシャル・タイムズアメリカ版編集長のジリアン・テット氏で、これまでの業務経験で目にしてきた組織変革のあり方、「サイロ」についての事例と考察がまとめられている。著者は「サイロ」を専門家集団として定義しているので、ある意味において専門分化が進んだ結果であること、現代社会において専門分化は必要不可欠であるとしていることは興味深い。

現代社会のパラドクスは、ある部分ではきわめて密に統合化が進む一方で、他の部分ではひどく細分化が進んでいる(P.8)

この書籍で興味深いのは、折に触れてピエール・ブルデューの話が出てくることだ。ブルデューはフランスの社会学者であり、文化資本という概念を提起したことで知られているが、社会学者であるのと同時に文化人類学者でもあったことをこの書籍を読んで知った。著者自身が文化人類学を大学院で専攻し、”身内でありながらよそ者”である「インサイダー兼アウトサイダー」が、様々な「サイロ」に分断された組織に対してどう立ち向かっていったのか、文化人類学的に各種事例に解説を交えつつ、分断された情報を統合して分析するアプローチの重要性を指摘している。

翻って日本の大学情報公開について改めて考えてみたい。いつも大学ポートレートの話になってしまうが、現在では設置者別に国公立及び株式会社立大学は大学改革支援・学位授与機構が、私立大学は日本私立学校振興・共済事業団がそれぞれにシステムを開発し、大学ポートレートとして運用が行われている。

設置形態別にシステムを分類するのは「サイロ」化しているということではないのか。利用者の目線に立って物事を考えた場合、設置形態に関係なく大学情報にアクセスできた方が良いのは衆目の一致するところだろう。また、二つの組織が管理するデータを統合することに大きな意義があると思う。なぜなら、政策的にIRが導入されたときに、各大学がこぞって統合データを作り、それを分析してみて気づかなかった知見が多く見つかったからである。さらにいえば、J-CDSというデータの統一規格を用いれば容易に比較可能になり、いつでも誰にでも可視化が可能になるかもしれない。

以前、拙コラムでJ-CDSのメンバーが大学ポートレートに参画する可能性を論じた。²

これは著者が繰り返し指摘する、「サイロ」を破壊する「インサイダー兼アウトサイダー」の視点にも繋がるし、ある意味でJ-CDSプロジェクトが行っているのは”日本の大学情報公開”という「サイロ」の破壊活動でもある。本プロジェクトの活動意義を改めて捉え直す上でも、この書籍は是非目を通してもらいたい一冊である。

< 東北学院大学 長山琢磨>


¹ https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163903897

² https://j-cds.net/universityinformation/significance