コラム

ところかわれば事務かわる:事務ローカライゼーション

2019年4月1日に新潟大学の教育・学生支援機構に移りました。これまで2つの私立大学と3つの国立大学に在籍する中で、自分自身が事務を担うこともありましたし、教員として事務組織と連携して仕事をすることも多くありました。タイトルの通り、ところかわれば事務はかわります。この経験からの考察を本コラムで述べたいと思います。

3つの国立大学で教員としての入職手続きを経験しましたが、必要な書類の数がすべて異なりました。ある大学では、ほとんどの書類が縦書きの書式でした。もしかすると法人化前から使っている書式をそのまま使っているのかもしれません。

職務経験を証明する書類では、各組織の代表者印が必要なところもあれば、押印は必要ないけど経歴に誤りがない旨を提出者が誓約の署名をするところあれば、履歴書で十分なところもありました。

入職に関する書類は学内規定で決まっていることが通常です。大学によっては、規定の中に書式フォーマットを定めているところもあります。このように、大学間で事務ローカライゼーション(局在化・局地化)が発生していました。

それでは、事務ローカライゼーションは大学間だけで発生するのでしょうか。答えはNOだと考えます。おそらく、機関(マクロ)、部署(ミドル)、個人(ミクロ)のレベルで発生するでしょう。特に人事異動で担当者が交代する場合と、方針の違う管理職が異動してきた際によく発生しているようです。それでは、個人(ミクロ)レベルでの事務ローカライゼーションとして考えられる三つを挙げてみたいと思います。

第一に提出期限の設定、第二に記載マニュアルの有無、第三に記載内容の厳密性です。

第一の「提出期限の設定」は、担当者の裁量が非常に大きいです。大規模大学だと、本部に人事部署があり、部局に人事業務を委託している場合に、組織内に複数の提出期限が発生して、被依頼者の提出期限より早まります。下手をすると提出者の提出準備を圧迫する二重行政の弊害だといわれかねません。

さらに、提出期限の設定は、前年度スケジュールの踏襲であったり、なんとなく一週間事務作業にかかるからなどの、突き詰めると根拠がないものであったりします。ただ、私自身このような事務業務の依頼者、被依頼者両方を経験しているので、そのような担当者による事務ローカライゼーションは理解できます。誰もが仕事の余裕を奪われることが怖いのです。あって欲しくはありませんが、他者への無関心もあるかもしれません。

第二の「記載マニュアルの有無」は、依頼者、被依頼者双方の手続きをする上での照会コストを省力する上ではとても重要です。ただし、新規にマニュアルを作成するコスト、マニュアルの記載が正しいか確認するコスト、経年によるマニュアルの刷新コストもあります。

もちろんマニュアルを紙で配布するコストもあるでしょう。これは担当者の裁量にプラスして、職務意識によるものが大きいものと考えます。

第三の「記載内容の厳密性」は、担当者の主観と直感に左右されることが多いのではないでしょうか。ここでは、目的(申請を通すこと)が第一であることをだれもが容易に忘れてしまいます。

本来は目的達成の手段の一つである「書類上の不備をなくす」ことに囚われてしまいます。私にも過去心当たりがあります。みなさんもぜひそれぞれの胸に手をあててみてください。

J-CDSプロジェクトは4月から3名の方(井芹さん、岩野さん、山咲さん)が新規メンバーとして加わりました。このプロジェクトでは、大学が公表する情報の共通のデータ様式を草の根で検討・構築し、社会実装にまで導くことを目指しています。

ただ、仮にJ-CDSプロジェクトが首尾よく進み多くの大学で導入されても、容易に事務ローカライゼーションはなくならないでしょう。

大学改革は今後も社会的にも政策的にも必要だと叫ばれていくのだと思いますが、拡大モデルの大学改革だけでなく、収斂モデルの大学改革も必要ではないかと思います。収斂モデルの大学改革では、高等教育予算も市場もシュリンクしていくことを真摯に受け止めながら、慣例・前例主義を疑い、既存のシステムに「減らす」「無くす」アプローチで挑むことができる事務スペシャリストが必要なのだと思います。

(新潟大学 上畠洋佑)